【感想・ネタバレ】舞台「プラトーノフ」(主演:藤原竜也)を観てきた!
こんにちは。2月14日、独りで呑んだチョコレート・リキュールは美味しかったです。すと子です。
さて、先日アントン・チェーホフ原作の舞台「プラトーノフ」(公式サイト)を観に行ってきたので、その感想レポを書きます!

いつも通り、前知識は皆無の状態で観に行きました。ただ藤原竜也の演技を生で観たかったのです。
「これは愛なのか?」というキャッチコピー。まるで誘惑するかのごとく自らの胸元に手を差し入れる藤原竜也と、彼を囲む四人の妖艶な美女たち。そして原作はロシアの戯曲ときたもんだ。
こりゃー「愛」という深遠なテーマの、重厚で文学的でめっちゃシリアスな舞台なんだろう。
そう身構えて行ったのですが、意外や意外、蓋を開けてみれば抱腹絶倒の悲喜劇でした。涙が出るほど笑いました。なんだろう、扱っているテーマや登場人物の境遇(主人公プラトーノフに降りかかる災厄は、自身の蒔いた種が原因だけど)はすっごい重いのに、重いからこそ、一周回って笑える、笑うしかないという悲哀の交じった喜劇。
滑稽さと哀愁の両方を観客に感じさせる、藤原竜也をはじめとした役者さんたちの演技に脱帽です。舞台キャリアの長い役者さんが多かったのかな? すごい安定感があった。
ロシアの戯曲だからといって「小難しそう…」と敬遠しなくて良かったです。めちゃくちゃ面白かったよ。
作品情報・概要
作品情報
- 作:アントン・チェーホフ
- 脚色:デイヴィッド・ヘア
- 翻訳:目黒 条
- 演出:森 新太郎
- キャスト:藤原竜也/高岡早紀/比嘉愛未/西岡德馬/前田亜季/中別府葵/浅利陽介/神保悟志/近藤公園/尾関 陸/小林正寛/佐藤 誓/石田圭祐/青山達三/高間智子/冨永 竜/内藤暁水
- 会場:【東京公演】東京芸術劇場プレイハウス(東京公演後、富山・福岡・静岡・広島・大阪にて公演あり)
概要
ある日の昼、美しき未亡人・アンナ(高岡早紀)の広大な屋敷には、彼女の友人や取り巻きの男たちが集まり、優雅で空虚な時間を過ごしていた。アンナの容姿と知性に惹かれ、彼女を「理想の女性」と崇拝する名士・ポルフィーリ(神保悟志)や、皮肉屋の医師・ニコライ(浅利陽介)。陽気な商人のブグロフ(佐藤誓)と、同じく商人であり金持ちのシチェルブーク(石田圭祐)。さらに、アンナの義理の息子であるセルゲイ(近藤公園)。
皆が彼女の手の甲にキスしたがり、アンナは洗練された仕草でそれに応じる。その屋敷に、越冬地から帰ってきた教師・プラトーノフ(藤原竜也)とその妻・サーシャ(前田亜季)が遊びに来た。プラトーノフは得意の弁舌で、シチェルブークの俗物っぷりを詰り、ニコライが想いを寄せる女学生・マリヤ(中別府葵)の来訪に際しては、研究にばかり励んで男女の機微に疎い生真面目な彼女を愚弄した。「ろくでなしの女たらし」。それがプラトーノフへの皆の評価であった。しかしアンナは、妻子のいるこの「ろくでなし」にこそ、心を動かされ、恋していた。
つい先日結婚したセルゲイとその結婚相手へと、話題は移る。皆より遅れて屋敷にやってきたセルゲイの妻。彼女はプラトーノフのかつての恋人・ソフィヤ(比嘉愛未)だった。プラトーノフとソフィヤは五年ぶりの再会を果たし、互いの今の体たらくにショックを受ける。ソフィヤにとって、プラトーノフは詩人を目指すもっと高尚な人物であり、こんな飲んだくれではなかった。プラトーノフにとって、ソフィヤは理性的で大胆な女性であり、ろくに仕事もしないセルゲイのような男の妻になる女ではなかった。
その晩、屋敷の庭園でパーティーが行われる。庭園の外れにあるベンチで、プラトーノフはソフィヤに、かつての自分自身を取り戻すように訴える。「僕たちはもっと自分に合った生き方をしよう」と。彼にとっては、妻のサーシャも含めて全ての人間が愚かで低俗で、ソフィヤだけが美しい瞳をしている、と。
彼らをよそに、他の人々の思惑も動いていく。ポルフィーリとの打算的な結婚を考えながらも、プラトーノフへの想いを募らせるアンナ。アンナに貸した金を返させるために、彼女とポルフィーリとの結婚を企むシチェルブーク。セルゲイの持つ土地を狙うブグロフ。そして、アンナを恋い慕うあまりにプラトーノフに強い殺意を抱く、嫌われ者の馬泥棒・オシップ(小林正寛)。
金は低俗。生活は汚い。この世は汚物にまみれている。その中で、理想の女性と高尚な愛を実践することを夢想するプラトーノフ。しかし現実は彼の思惑からどんどん外れていき、アンナ、サーシャ、マリヤ、そしてソフィヤが自身に向ける愛とその重さに翻弄され、やがてプラトーノフは破滅の道を辿っていく――。
ここからは、がっつりネタバレ込みです!
「理想」と「現実」の激しすぎるギャップ
「プラトーノフ」の構成
まず前提として、本作は全5幕。構成は下記の通りです。
- 1幕:アンナの屋敷(昼)……一同集合。プラトーノフとソフィヤの再会。
- 2幕:屋敷の庭園のベンチ(夜)……プラトーノフが四人の女性と密会。それぞれの思惑。
- 3幕:プラトーノフの家の前(夜)……ソフィヤとアンナの間で揺れ動くプラトーノフ。
- 4幕:プラトーノフの家の中(昼)……自堕落に過ごすプラトーノフを、ソフィヤ、元軍人、アンナ、サーシャが訪ねる。
- 5幕:アンナの屋敷(夜?)……セルゲイとの口論。ソフィヤの発狂。プラトーノフの死。
「発狂」とか「死」とか暗い単語が出てきますが、喜劇です。
一度は夢見た「理想」も、手に入れた途端に「現実」の臭みを帯びてしまうもの
「余計者」のプラトーノフが見出した理想・ソフィヤ
公演プログラム曰く、プラトーノフのような人物は「余計者」というらしいです。
先行する文学テクストとの呼応としては、まず主人公プラトーノフの形象が、プーシキン以来レールモントフ、トゥルゲーネフ、ゴンチャロフらの主人公に連なる「余計者」であることが挙げられる(余計者とは、才能や資質に恵まれながらその能力を活かすすべの見つけられない知識人のこと)。
※「プラトーノフ」プログラム掲載/沼野恭子「過去との戯れ、未来への助走」より引用
まさにこれなんですよね。プラトーノフの優れた容姿と抜きん出た知性は、登場人物の誰もが認めるところなのですが、人格に難あり。金持ちのシチェルブークを俗物扱いしたり、自分の妻・サーシャを「愚かな女」呼ばわりしたり。金を稼ぐのに執心する人間を嘲弄し、知識を身につけるという発想さえない、無垢な生活人を侮蔑する。
アンナの屋敷に出入りしながらも、彼女の取り巻きたちの低俗さ加減に、プラトーノフは心底辟易しています。なぜなら、金だの借用証書だの生活のことだの、彼らは現実に毒されすぎているから。
要するに、高尚で精神的なものを尊ぶプラトーノフに対し、彼らはあまりに低俗で物質的なのです。
※ただ、アンナに対してはプラトーノフは敬意と親愛の情を抱いています。彼女が知性と魅力の両方を兼ね備えた女性だからです。
そんな彼が再会した元カノのソフィヤ。彼女は今では喘息を患っており、坊ちゃん育ちの夫・セルゲイに労わられる、大人しい女性に成り下がってしまっている。あんなにも知性と理性の輝きがあった女性なのに、かつての溌剌とした精神は影を潜め、他の俗人たちと同様に金と生活に埋没しようとしている。
プラトーノフはそれを見過ごしませんでした。夜の庭園のベンチで、彼はソフィヤに「僕たちはもっと自分に合った生き方をしよう」と口説きます。「もっと高尚に生きようぜ! 俺ら他の俗物共と違うし!」ってわけですね。
これは別に、ソフィヤのことを想っての言葉では全くないのです。お気づきかと思いますが、周りの人間を「俗物」扱いしているプラトーノフの実態は、周囲をからかっては弄ぶ飲んだくれ。つまりは「俗物」以下です。周囲や人間、社会を軽蔑しながら、プラトーノフ自身も軽蔑に値するろくでなしになってしまっている。
これは私見ですが、恐らくプラトーノフを最も軽蔑しているのは、彼自身だと思います。理想的な自己と、現実の自己との激しすぎる乖離。それから目を逸らしたいがために、酒で正気を濁らせ、周囲を逆撫でするような攻撃的な言葉を放ち続けている。頭が良すぎるうえに、繊細なんですよね。
今はこんなろくでなしだけど、元カノとあの頃のように愛し合うことができれば、俺は再び、昔のような情熱と清らかさを取り戻せるだろう。ソフィヤとの再会が、プラトーノフにそういう夢を、「理想」の未来を見せてくれたから、彼は人妻のソフィヤを口説いたのだと思います。
「これは愛なのか?」――プラトーノフが見た「理想」の正体
もちろん、ソフィヤは最初はプラトーノフを拒絶します。新婚ですしね。新婚じゃなくても不倫は悪いことだけどね。
ただ、彼女自身も薄々気付いているのです。もう昔のような輝きは、今の自分にはないな、と。それに目をつむって自分を誤魔化して、セルゲイのようにただ優しいだけの男と結婚したのに、プラトーノフがずけずけと核心を突いてくるものだから、彼女は「どうしてそんなことを言うの?」と耳を塞ごうとします。
しかし、プラトーノフの言葉が彼女を変えました。彼女にセルゲイを裏切り、生まれ変わる覚悟を与えた。3幕でプラトーノフは、夜道をひとり帰っている途中、ソフィヤからの手紙を使いの者から受け取ります。それは、プラトーノフとの愛の道を生きる決意がしたためられたもの。
プラトーノフは手紙を読んで愕然とします。「これは愛なのか?」と。そして煩悶します。ソフィヤが待つという逢い引きの場所に行くかどうか。
「行くべきか、行かぬべきか、それが問題だ。僕は変わってしまった。一人の女性の一言で、見下げはてた不真面目な色恋沙汰が、また始まってしまった」
「ハムレット」のパロディで、字面だけだとシリアスな雰囲気ですが、藤原竜也の演技のおかげでプラトーノフの煩悶する場面は爆笑シーンとなっていました。
そう、「見下げはてた不真面目な色恋沙汰」。これが人妻ソフィヤとの恋の正体です。彼女と歩む道には高尚さなど微塵もない。あるのは、ありきたりな男女の劣情と不道徳だけ。
これは愛なのか? これが愛なのか? プラトーノフは、自身の夢見た「理想」の正体を、「理想」が現実化したことにより、看破してしまったのでした。
あと、彼がソフィヤとの恋路に両足を突っ込むかどうか悩んでいる理由は、もうひとつあります。実はソフィヤを口説いたアンナ邸のベンチで、魅惑の未亡人・アンナに誘惑されていたのです。
ソフィヤは魅力的だ。昔の自分を取り戻させてくれるかもしれない。けど人妻との、それも友人セルゲイの妻との不倫は、いざ現実味を帯び始めてみると、なんか覚悟を決めたらしいソフィヤの勢いが怖くなってきた。一方、年上で色気だだ漏れのアンナも、ソフィヤとは違う魅力を持ってて捨てがたい。
どっちも捨てがたいが、正直どっちも面倒。これがプラトーノフの本音だと思います。本当にクズです(笑)
四人の魅力的な美女たち
高尚さを夢見ようが、プラトーノフの現実は所詮「不真面目な色恋沙汰」。これには彼自身も頭を捻ります。
「なぜだ? 男たちは世界を打ち砕くような重要な問題と闘っている。しかし、僕の世界を打ち砕くのは、女、というもの以外にはない。シーザーにはルビコン川。僕には女! ……色男ぉぉぉ!!!!」
色男ゆえの苦悩に、観客爆笑(笑)プラトーノフの凄まじい焦りが伝わってくるだけに、尚の事その姿は喜劇的です。
「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」とは稀代のコメディアン・チャップリンの言ですが、本作はまさにそれ。登場人物たちが切羽詰っている姿が、その言動が、観客から見れば大仰で非常に面白い。本人たちは必死なんですけどね。
火がついてしまったらしいソフィヤをどうしよう(そもそもプラトーノフが自分で蒔いた種である)。アンナの誘いをどうしよう。そもそも自分を信じて受け入れてくれている愚かな妻・サーシャとの家庭をどうしよう……。
こうしてプラトーノフは、まさに自業自得と言うべき美女地獄へと、身を投じていきます。
走り出したら止まらない、純粋すぎるソフィヤ
「コード・ブルー」シリーズを始めとする比嘉愛未さんの出演作、私は今までほとんど観たことがなかったのですが、比嘉さん、本当に美しい人ですね。金髪のゴージャスな髪型と水色のドレスがあんなに似合う日本人、そうそういませんよ。フランス人形みたいでした。
さて、そんな美しき人妻をたぶらかしたプラトーノフ。彼女との約束と、アンナとの約束、どちらを取ったのか?
結果は、両方取りませんでした(笑)妻サーシャがとうとうプラトーノフに愛想を尽かして、子供を連れて出て行ってしまったため、自宅で酒びたりになっていたのです。
どれも捨てがたくて選べないから、どれも選ばない。それで結局、何も得られない。優柔不断で意志決定能力のない人間にはよくあることです(自分がそうだから分かる笑)。
お風呂にも入っていないため、すっかり小汚くなってしまった姿で、ソファでごろごろしているプラトーノフ。そんな彼の家に、ソフィヤが乗り込んできます。話が違うじゃねーか、と。そりゃそうなるわな。
そしてプラトーノフを説得する最中に、夫セルゲイに全てを話したのだと明かします。これにはプラトーノフは腰を抜かし、ただただ狼狽。
(床の上で慌てふためきながら)「ほ、本当にそんなことをしたのか!?」
「本当よ!」
「セルゲイはどんな様子だった!?」
「さっきの貴方と同じことを言って、同じように床をのた打ち回っていたわ!」
「……(白目)」
全部は覚えていませんが、大体こんな感じ(笑)
退路を断たれたプラトーノフは半ば放心状態のまま、「今晩六時に小屋で待ってる。二人で別の場所で暮らしましょう」というソフィヤとの約束に頷いてしまいます。
思い込みの激しい女学生・マリヤ
やばい、ソフィヤの勢いがやばい……。
焦るプラトーノフのもとに、元軍人のおじいさんが、訴状を持ってやってきます。
実はプラトーノフは2幕(アンナ邸の庭園のベンチ)で、ウブな女学生マリヤをからかうために彼女にキスをしたのです。ファーストキスだったマリヤは「私のことを愛しているのね!?」と舞い上がる。しかしプラトーノフはそれを嘲笑い、「君のことなんか愛しちゃいない」とのたまった。
責任を取る気がないくせにキスをした。ゆえにプラトーノフを訴える。訴状はマリヤによるものでした。
「彼女は僕の行動に対して、初めて正しい反応を返した女性だ」。そう皮肉るプラトーノフに元軍人が告げた裁判開廷日は、なんと明日。
これを聞いて、プラトーノフは歓喜します。なぜなら、ソフィヤとの約束により今晩にはここを発つ予定だから、裁判に出ないで済む(本当に済むのか分かりませんが)。「いや~困ったな~明日には僕ここにいないからな~出たくても出られないな~」と言わんばかりに、元軍人に出廷拒否の旨を伝え、余計なことをせんでいいのに、わざわざマリヤに手紙を書きます。
裁判には出られないし、僕はもうここを離れるけど、君のことを愛しているよ、と。
当然、「訴えてくれてありがとう」的な皮肉と、いつもの揶揄をたっぷり込めての手紙だと思うのですが、後にマリヤはこれを受け取り、プラトーノフはやっぱり自分を愛しているんだ、と勘違いすることに。
マリヤ役の中別府葵さん、初めてお見かけしたんですが、演技が非常にコミカルで面白かった! チュッとされた時なんて、ひきつけを起こしたようなリアクションをとっていました。演出家の指導によりどんどん引き出されていった演技らしいのですが、とても良かったです。彼女が出てくるたびに笑いが起きていました。
麗しの未亡人・アンナ
結果的にソフィヤと約束して良かったわ~。そう安堵する暇もなく、今度はアンナがやって来ます。
屋敷でパーティーが行われた夜。プラトーノフがソフィヤを口説き、その後アンナから誘いを受け、帰り道にソフィヤからの愛の手紙を受け取ったあの晩に、実はアンナも次のアクションを取っていたのです。
自分の誘いに、プラトーノフが乗ってくれるかどうか。彼の答えを聞くために、自分を慕うオシップを彼のもとに遣わしたのでした。オシップには、答えが「Yes」ならばライフルを空に向けて撃って、自分に伝えてほしい、と告げていました。
オシップは、「お前を殺してやりたい!」とプラトーノフに向かって叫びながら、ライフルを撃ったのでした。アンナを悲しませたくないから。
答えは「Yes」だったはずなのに、プラトーノフはいつまで経っても屋敷に来ない。しびれを切らして、慎重なアンナが自ら赴いてきたのです。
そう、アンナは高い知性のゆえか、年上の余裕を装いたいからか、非常に慎重な女性です。本気さは要所要所で伝えてくるけど、必死な感じは決して出さない。
アンナ役の高岡早紀さんの色気、半端なかったです。オペラグラスを使わなくても伝わってくる艶やかさ。あと、アンナの衣裳が個人的に好みでした。屋敷にいる時の豊かな白いドレスと、乗馬用のキリリとした服装のギャップが良かった。
アンナは「私に未来なんかないわ」と言ったように、今の人生に疲れています。多くの取り巻きがいても、地元の名士に崇拝されプロポーズされても、決して埋まらない孤独。
「教育を受けた女に今の世は生きづらいだけ。私が校長になろうが誰も気に留めない。私は誰からも必要とされていない。なら堕落して生きてもいいじゃない」
「私には、妻になることが、母になることが必要なの」
大体こういうことを言っていました。この孤独な未亡人は、心の穴をプラトーノフで埋めようとしているんですね。同レベルの知性を持つ者同士なら、互いの孤独も、繊細さゆえの生き辛さも分かり合えるから。
もちろん、アンナのような気高い女性が、こんな話をシラフで出来やしません。アンナとプラトーノフの乾杯合戦には、めっちゃ笑いました。
魅惑的なアンナの誘いに、プラトーノフは一瞬揺らぎます。
「……ソフィヤに延期を申し出ようか?」
本当にどうしようもない男ですが(笑)、なんとかアンナを追い返します。
最後に帰りたくなる港・サーシャ
藤原竜也と前田亜季が夫婦役。最近「バトル・ロワイアル」(2000)を観返した私には嬉しいキャスティングでした!
サーシャはプラトーノフに「愚かな女」呼ばわりされていますが、健気で明るく、信心深い女性です。そして、プラトーノフを含め色んな人から「赤ら顔」だの「腰のあたりが大きなカブのようだ」だの、散々外見を批判される女性ですが、全然怒らない。そもそも前田亜季さん、めっちゃ可愛いし細かったわ(笑)
プラトーノフの女癖にも慣れていた(気付いていないふりをしていた?)サーシャですが、3幕(プラトーノフの家の前)で夫が女性との問題でうんうん悩んでいるのを知ってしまい、とうとう自殺を決意し、線路に横たわります。しかし、オシップによって助けられました。サーシャは嫌われ者のオシップに対して、いつも優しく明るい態度で接し、彼に夕飯をご馳走したりしていたので、オシップも彼女のことは好いていたのです。
その後、当然サーシャはクズ旦那を見限り、坊やを連れて実家に帰ります。サーシャに去られた後のプラトーノフの体たらくは、先述した通りひどいものでした。
「サーシャぁぁぁぁ! サーシャぁぁあぁあ!!!!」
ソファの上でジタバタしながらどんなに叫ぼうが、サーシャは戻ってこない。やっぱり最後に縋りたくなるのは、器のでかい本妻なんですね。
そしてアンナを追い返した後、次に家にやって来たのはなんとサーシャでした。
「サーシャ! 僕に会いに来てくれたんだね!」
「ううん! 全然違う!」
切迫した様子のサーシャ曰く、坊やが急病にかかったとのこと。「そんなもん神に祈っとけ」と言うプラトーノフの安定のクズっぷりには笑いましたが。プラトーノフがうっかり浮気相手についてバラしてしまい、サーシャの様子が急変します。
彼女は、プラトーノフの浮気相手はアンナだとばかり思っていたのです。魅力的で独り身のアンナならば仕方ない、と半ば諦めてもいました。しかし相手がソフィヤとなれば、話は別。いわゆるW不倫が、信心深いサーシャにとって許しがたい罪であったのも勿論ですが。彼女にとってソフィヤがアンナほど遠い存在ではないからこそ、そんな女性にプラトーノフの心を奪われたのが尚のこと許せなかったのだと思います。
頑として家に戻ろうとしないサーシャに対し、プラトーノフは涙ながらに訴えかけます。
「なぜだ! 僕は君の夫であり、子供の父親だろ!?」
「それ私の台詞!」
ほんと、それサーシャの台詞(笑)夫であり父親であるという自覚があるのなら、なぜ他の女と浮気をするのか。
こうして、色んな女に浮ついた言葉をかけたせいで、女たちから「愛」という重しを付けられ、身動きが取れなくなってしまったプラトーノフは、最後に縋れる相手を失ってしまったのでした。
悲喜劇の結末
最終幕。プラトーノフはアンナの屋敷にやって来ます。
そこでは再び、登場人物たちが一堂に会します。プラトーノフとセルゲイの激しい口論(これも爆笑シーンです)。義弟ニコライからの、サーシャが服毒自殺を試みたとの知らせ。プラトーノフを殺すために乱入してきたサーシャの父親・イワン(西岡徳馬)。プラトーノフとアンナの関係を知ってしまい、泣き叫ぶソフィヤ。プラトーノフからの手紙を受け取って、「やっぱり私を愛してるのね!」と歓喜して突撃してくるマリヤ。
まさにカオス(笑)
そしてついに、自身のこれまでの行動の報いを、プラトーノフは受けることに。彼は錯乱したソフィヤによって、ピストルで撃たれたのでした。
彼の死を悲しみ、嘆く人々。「僕たちは彼の行動を諌めることはできなかったのだろうか」みたいなことをニコライが言っていたと思いますが、多分できなかったと思う。
もう一人死んだ人物がいます。オシップです。彼の死はプラトーノフの死と違い、他の登場人物が口頭でプラトーノフに伝えた、というだけで、ひどく地味に表現されていました。
馬泥棒のオシップは近隣の村に行ってしまい、そこで彼を恨んでいる・嫌っている者たちにめった打ちにされ、殺されたそうです。「オシップは償いをしたのだ」という風に、彼の死は語られていました。
アンナを恋い慕い、彼女の幸せのために、憎きプラトーノフとの間の伝書鳩を引き受けたオシップ。サーシャの自殺を止めるなど、本当に自分に好意と善意を向けてくれる相手にだけ、真摯な心で報いようとしたオシップ……。
私はプラトーノフの死より、オシップが殺されたことの方が悲しかったです。この喜劇の中で、唯一まっとうに、人間的な悲劇の道を歩んでいたから。
感想まとめ
生の藤原竜也がとにかく凄かったです。私は芸能界の方々を生で見たことがほとんど無いので、舞台などの機会で役者さんを見る時は、まずはハイレベルな外見(顔立ち・スタイル)に目がいってしまうのですが。藤原竜也はもう、出てきた瞬間に、彼が演じるプラトーノフに視線が一気に吸い込まれました。演じているというより、そこにプラトーノフが生きていました。
四人の美女たちも眼福ものでしたわ。
それにしても、このドロドロ愛憎劇を、19歳やそこらで書いたチェーホフの手腕たるや。
いやー、もう一回観たいです。「森新太郎 チェーホフシリーズ」第一弾ということなので、他の作品も観てみたいですね。
すと子