【感想・混雑具合】「京都・醍醐寺―真言密教の宇宙―」に行ってきた

2018-10-26美術館めぐり

こんにちは。今日も六道輪廻から抜け出せずにもがきながら生きています。すと子です。

最近、サントリー美術館で開催中の「京都・醍醐寺―真言密教の宇宙―」展(11月11日まで)に行ってきました。その感想レポです。

 

「京都・醍醐寺―真言密教の宇宙―」展のポスター
(サントリー美術館前にて撮影したポスター)


まぶしい! なんかめっちゃご利益ありそう!

心が荒んでしまうお年頃なので、いっちょ煩悩をはらって生きる苦しみを和らげようと思い、行きました。この観音様に実際にお目にかかれるだけで価値ありそうだし。

私は実家の宗派もよく把握していないほどの宗教音痴なのですが、解説文が懇切丁寧に説明してくれていたので、楽しめましたよー。

そもそも醍醐寺って?

そもそも醍醐寺ってなんぞ? よく知らないので、調べてみました。

※開祖とか由来とか小難しい話はどうでもえーねん、という人は飛ばしちゃってください。

図録の冒頭で醍醐寺について分かりやすくまとめてくれていたので、引用します。

京都の山科やましな盆地にある醍醐寺は、じょうがん十六年(八七四)にげんだいしょうぼうによって開かれて以来、歴史の表舞台で重要な役割を果たしてきた名刹です。真言密教のうちでも、特に加持祈祷やほうなどの実践を重視する寺として発展し、その本尊となる彫刻や絵画、修法で用いる仏具など、九世紀の開創期からの名宝が数多く伝わっています。

※展覧会図録「ごあいさつ」より引用

懐かしすぎて涙が出そうですが、まずは高校の日本史の知識を超ざっくり復習すると、下のような感じです。

日本での開祖 唐からの伝来時期 本尊 総本山
天台宗 最澄 9世紀初頭 釈迦如来 滋賀県の比叡山延暦寺
真言宗 空海 大日如来 細分化し、十八本山ある
(醍醐寺もそのひとつ)

平安時代には、この二つの密教系の宗派が大流行してたんですね。

密教とは、現世利益(あの世とかじゃなく、今生きているこの世で出世する、金持ちになる等のご利益を得ること)を求めて加持祈祷を重視する教えです。

醍醐寺は、空海の孫弟子であるげんだいしょうぼうが、笠取かさとり山にて出会った翁(山の主神しゅしんよこみょうじん)に導かれて、この地に庵を結んだのが始まりとされています。これが874年のことです。

ちなみに寺の名前は、この翁が山に湧いていた泉水を飲んで、「醍醐味!」(=めっちゃ美味い)と発したことが由来になったそうです。「醍醐」はもともと仏教の中では最上に美味とされる乳製品のことらしい。

そして、醍醐寺のあるこの笠取山一帯、実は醍醐天皇(在位:897~930年)の外戚の領地だったらしく、即位の後は天皇に縁のあるお寺として重要視されるようになったそうな。(展示図録・コラム「聖宝と醍醐天皇と菅原道真」より)

今では真言宗醍醐派の総本山であり、世界遺産にも登録されています。

 

展覧会の構成・感想

全4章、122点ありました。各章で気に入ったものをピックアップしながら感想を書いていきます。

第1章 しょうぼう、醍醐寺を開く

本章ではまず、聖宝の肖像や伝記、縁起をはじめ、醍醐天皇御願として聖宝により造り始められた上醍醐の薬師堂本尊の国宝《薬師如来坐像および両脇侍像》や、日本における如意輪観音像の代表作の一つである重要文化財《如意輪観音坐像》の名品によって、醍醐寺の草創期を概観します。

展覧会公式サイトより引用

第1章では、開祖・聖宝の像や伝記、醍醐寺創建の由来などが記された「醍醐寺縁起」、そして空海筆と伝えられている書など、醍醐寺草創期にまつわる名品が展示されていました。

弘法大師、めっちゃ字うまかった。

 

如意輪観音坐像

最初に来場者をお出迎えしてくれるのが、本展覧会の顔ともいえる「如意輪観音坐像」(重要文化財:平安時代・十世紀)です。

薄暗い空間の中央。ガラスケースの中に、金ピカの観音様が鎮座しておりました。思っていたより大きくなかった(例えがアレですが、中ダンボールに入りそうなサイズ)。

しかし、金色の肌が放つ荘厳な輝きには圧倒されました。それに、造りがめちゃくちゃ緻密で。頭部の細かな装飾が、空調のせいか微妙にそよいでいて、綺麗でした。

如意輪観音像として、大阪・観心寺の如意輪観音坐像と共に、日本を代表する作品とのことです。

如意輪観音坐像の別アングル
(如意輪観音坐像を別アングルにて。展覧会図録より)

 

さてここで、なぜ醍醐寺にとって如意輪観音坐像が重要なのか、ですが。

醍醐寺の開祖・しょうぼうが、創建の際に、じゅんてい観音と如意輪観音の両像を自ら造って祀ったため、醍醐寺では特別に信仰されてきたらしいです。

じゅんてい観音の源流はヒンドゥー教の女神というのが定説ですが、その影響か、一般的なその姿は一面十八臂とのこと(ヒンドゥー教の影響が濃いと、多面多臂の傾向が強いらしい)。腕十八本って多くない?

准胝を信仰すると、災いや病を除き、長寿を得て、子を授かり、降雨などにも効験があるという。如意輪観音は、輪が転がるようにどこでも現われ、望むもののすべてを生み出すにょほうじゅのように願いを叶える力をもつ。

展覧会図録「作品解説・No.8 清瀧本地両尊像」より引用

はぁ~、ありがたや……。手がいっぱいあるのも、きっと衆生救済のためなのでしょう。

 

薬師如来像

「薬師如来および両きょう像」(国宝:平安時代・十世紀)

これは本当に壮観でした。ひとつのホールをまるまる使って、中央には薬師如来像(高さ一七六・一センチ)が、その両脇には日光・月光菩薩像が展示されていました。台に載っているため、来場者が見上げるほどのサイズです。

この薬師如来は、醍醐天皇のお願いによって聖宝が造営を開始した薬師堂(国宝)の本尊のようで。

薬師堂は、いわゆる「上醍醐」といって山を一登りした先にあるのですが、2001年に薬師如来像は「下醍醐」、つまり山の麓にある霊宝館に移されたらしいです。

なかなか歩くのが辛い人でも、気軽に見られるようになって良かったなーと思います。

それにしても、前頭葉くらいの位置にある赤い点は一体なんやねん、と思って調べてみたら、肉髻珠にっけいじゅといって、如来様の豊かな知恵を表すもののようですね。勉強になるわー。

 

第2章 真言密教を学び、修する

加持祈禱や修法(儀式)などの実践を重視した醍醐寺は、その効験によって多くの天皇や貴族たちの心をとらえました。真言密教の二大流派のうち小野流の拠点となり、多くの僧が集まる根本道場と位置付けられた醍醐寺には、修法の本尊として欠くことのできない彫刻や絵画、修法に用いる仏具、修法の手順や記録などを記した文書や聖教などが蓄積されていきました。今に伝わる寺宝の数々は、千年以上もの間、醍醐寺が人々の願いに応えて修法を続けてきたことを示しています。
本章では、仏像と仏画の名品を中心に、それらが本尊とされた場である修法と合わせてご紹介します。加えて、仏像仏画の研究および設計図ともいえる白描図を展示することで、有機的につながる密教美術の世界観をご覧いただきます。

展覧会公式サイトより引用

第2章では、密教の宇宙観を表す「両界曼荼羅図」や、密教儀式に用いられた法具、儀式の際の信仰対象である各本尊の仏像や仏画、そして白描図(白抜きの仏画。塗り絵のような感じ)などが展示されていました。まさに密教美術のオンパレード。

特に、白描図なるものは生まれて初めて見ました。存在さえ初めて知りました。けれど確かに、日本美術でも師匠の絵を模写してデザイン性まで写し取り、それを模範にする、など多々あるし。正確性が強く求められる仏画においてもそれは必要なことだよなーと思いました。

他にも、法具に施された螺鈿や鋳金、細かな彫りが見事だったりと、美しい作品が多かったです。

 

不動明王坐像

「不動明王坐像」(重要文化財:鎌倉時代・一二〇三)

怖ろしげな忿怒の面相(街中で絶対に会いたくない顔)に、バックの火焔のオシャレささえ感じるバランスの良さ。そして何より、像に迫力と息吹をもたらす玉眼!

左手に変な縄みたいなのを持たされているのが唯一気になった点ですが(羂索代わり?)、他の明王像と比べて、迫力の差に驚きました。

と、作者の名前を見ると、快慶。納得。

図録を見るに、快慶と醍醐寺の関係はなかなか深かったらしく、醍醐寺には本作以外にも快慶作品が複数存在するらしいです。

そう言えば「不動明王」ってよく聞くけどなんだろう? Wikipediaレベルのソースですが、調べてみました。

なんでも、密教では一つの「ほとけ」が、以下の三つの姿で現れるらしいです(=三輪身)。

  • 自性輪身じしょうりんじん(=如来)

宇宙の真理、悟りの境地そのものを体現した姿

ありのままの姿、ということでしょうか。

  • 正法輪身しょうぼうりんじん(=菩薩)

宇宙の真理、悟りの境地をそのまま平易に説く姿

衆生にとって優しい顔?

  • 教令輪身きょうりょうりんじん

仏法に従わない者を恐ろしげな姿で脅し教え諭し、仏法に敵対する事を力ずくで止めさせる、外道に進もうとする者はとらえて内道に戻すなど、極めて積極的な介入を行う姿

アメとムチの、アメが菩薩だとするならば、こちらはムチの方でしょうか?

※上記3つ、Wikipedia「不動明王」より引用。

不動明王は、真言宗の本尊・大日如来の「教令輪身」とされており、煩悩まみれの衆生を力ずくで救済するために、怖ろしげな顔をしているらしいです。

 

五大尊像

「五大尊像」(国宝:鎌倉時代・十二~十三世紀)。前述の不動明王を中心とする「五大明王」(不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王)を描いた五幅対の絵画です。

明王は、先に見たとおり大日如来の命を受けて、仏教に帰依しない民衆を帰依させるために、怖ろしげな姿をして民衆を調伏・教化させる存在です。不動明王以外は、基本的に多面多臂で、牛に乗っていたり、身体中に蛇を巻きつけていたりする明王もいるのですが。

私は降三ごうざん明王に、一目で心を奪われました。

なんとこの明王、ヒンドゥー教の最高神・シヴァを踏んづけて、その上に立っているのです。

シヴァは妻のパールヴァティーと共に「過去・現在・未来の三つの世界を収める神」としてヒンドゥー教の最高神として崇拝されていたが、大日如来はヒンドゥー教世界を救うためにシヴァの改宗を求めるべく、配下の降三世明王を派遣し(或いは大日如来自らが降三世明王に変化して直接出向いたとも伝えられる)、頑強難化のシヴァとパールヴァティーを遂に超力によって降伏し、仏教へと改宗させた。降三世明王の名はすなわち「三つの世界を収めたシヴァを下した明王」という意味なのである。

Wikipedia「降三世明王」より引用

真言宗の本尊・大日如来が、異教の神を降参させた、改宗させたっていうことなんですね。

新しい宗教が古参の宗教を呑み込む際に、古参の神々を支配したり、名前を変えて別の神にしてしまう(あるいは新しい方の神と合体させる)のって、よくあると思うのですが(たとえばギリシア神話とローマ神話とか)。ここまではっきりと絵に描いてしまうんだなー、と。これ大丈夫なん?

それにしても、踏んづけられているシヴァの方は怒りと屈辱に満ちた表情でしたが。パールヴァティーの方はというと、夫が踏んづけられているにも関わらず、どことなく頬を染めながら、手の上に降三世明王の足を載せて、色っぽく座っていました。いったいどういう心境なのだろうか。

※こちらの「五大尊像」(国宝:鎌倉時代・十二~十三世紀)は、10月15日までで展示が終わってしまったようです。。ご覧になりたい方には、図録の閲覧・購入をオススメします!

 

第3章 法脈を伝える─権力との結びつき─

修法が多く行われるようになると、各密教僧の間で異なる修法次第が生まれ、醍醐寺内でもいくつかの法流が形成されました。その中で中心となったのは、第十四代座主の勝覚が創建した醍醐寺三宝院を拠点とする三宝院流です。同院の院主は醍醐寺座主を兼ねることも多く、足利尊氏の政権における賢俊や、足利義満以下三代の将軍に仕えた満済など、彼らが座主として時の為政者から帰依を受けることで、寺は繁栄を遂げてきました。

展覧会公式サイトより引用

第3章は、醍醐寺繁栄の歴史ですね。正直、この辺はあまり興味がなかったです……。書が多かったので(笑)

ただ一点、「三国祖師影」(国宝:鎌倉時代・十四世紀)が気になりました。三国(インド、中国、日本)の高僧四十六人の肖像を描いた絵巻です。開祖・聖宝や、初代座主・観賢も描かれています。自らの血流・法脈の正当性を示すために大切にされたらしいのですが。私にはどの肖像もみんな同じ顔に見えました。これ、当時の人、あるいは仏教に詳しい人であれば、区別がつくものなのでしょうか。それだけが気になりましたね。

 

第4章 義演ぎえん、醍醐寺を再びおこす

16世紀末に第八十代座主となった義演(1558〜1626)は、豊臣秀吉などからの保護を受け、戦乱により荒廃した伽藍の復興整備を進めました。秀吉最晩年の慶長3年(1598)春に催された「醍醐の花見」は、安土桃山時代の華麗な文化を象徴的に表すできごととして広く知られます。

展覧会公式サイトより引用

義演は、豊臣秀吉などの保護によって戦乱後の醍醐寺を持ち直し、また寺内の古文書や記録、仏画等の整理・修復を行い、復興に努めました。その義演の肖像や日記、古文書が整理収納された箱、義演によるお寺の記録などが展示されていました。

また、華やかな桃山文化を象徴する行事「醍醐の花見」(1598)にまつわる品々が。金天目と金天目台など、金色好きの秀吉らしい作品もありました。

 

秀吉不例北斗法次第

「秀吉不例北斗法次第」(国宝:安土桃山時代・一五九八)

北斗法は天変、疫病、ようなどの除災のために北斗七星を供養する密教のほう。本品は、慶長三年七月、病床に伏せる豊臣秀吉の平癒を祈願して、えんを導師に、醍醐寺金剛輪院において修された北斗法の次第を書き記したもの。

展覧会図録「作品解説・No.112 秀吉不例北斗法次第」より引用

「醍醐の花見」は、秀吉にとっては生涯最期の花見となりました。同年五月には病に伏せるようになり、日に日に病状は悪化。秀吉に大恩のある義演が、彼の平癒祈願のために数々の儀式を行うも、その甲斐なく、八月十八日に秀吉は死去。

第3章でも、権力者の病を癒すために執り行われた儀式の記録の数々が展示されていました。しかし「効果があった」という記録はなかったと記憶しています。

それでも縋ってしまうのが、あるいは大事な人のために祈らずにいられないのが、人情というものなのでしょうか。

 

混雑具合は?

平日の午後に行った割には、意外と人が多いなーと感じました。

それでも見るのに支障はなかったです。ひとつの作品に対して、並ぶとしても三、四人、といったところでした。

とはいえ11月11日までと期日が迫っていますので、落ち着いて見るためにも早めの鑑賞がオススメです。

 

まとめ

迫力ある仏像と、美麗な仏画を通して、色々と知らなかったことを学べた展示でした。

ただ……、正直、展示を見る前は、煩悩をはらって穏やかな心になれることを期待していたんですよね。つまり、俗世間のなんやかやからは遠く離れたところに、宗教は存在してくれているのだと信じていたのです

実際は、権力者と持ちつ持たれつって感じでしたけどね(笑)

しかし、その俗世間のなんやかやこそが人間の営みであり、宗教の最終目的があくまで人間を救うことなら、その人間の営みからは離れられない、無視できないんだなーと思いました。

人間やりながら、さも人間でないかのように振る舞って人間を馬鹿にするのは、よくないですね。

すと子