【感想・ネタバレ】「ギャングース」(2018)~彼らを救えないのなら、せめて想像力を~
こんにちは。光陰矢のごとしにも程があります。すと子です。
先日、現在公開中の映画「ギャングース」(2018)(公式サイト)を観てきました。その感想レポです。

高杉真宙くんの主演作だし、原作漫画にも興味があったので。
結論として、(俳優ファンの贔屓目なしに)本当に良い映画でした。目を背けたくなるような社会問題、非情な現実と、物語としてのエンタメ性が、見事に融合されている。
「何があっても生き抜け」。このキャッチコピーと、くしゃっと笑っている二人の顔(真宙くんが演じる役だけは、笑顔になれないでいるけれど)。観賞後の今それらを見ると、胸と目頭が熱くなります。たくさんの人に観て、色んなことを考えてほしいと思える映画でした。
作品情報と概要
作品情報
- 監督:入江悠
- 原作:肥谷圭介・鈴木大介『ギャングース』(講談社)
- 脚本:入江悠/和田清人
- 出演:高杉真宙/加藤諒/渡辺大知/林遣都/伊東蒼/金子ノブアキ/篠田麻里子/MIYAVI
- 公開年:2018
- 製作:日本
- 上映時間:120分
- 映倫区分:R15+
概要
親に捨てられ、ろくに学校にも行けず、十代を少年院で過ごしたサイケ(高杉真宙)、カズキ(加藤諒)、タケオ(渡辺大和)。
住所不定、身分証なし、前科あり。社会の最底辺にいる三人は、廃トラックで生活しながら、情報屋の高田(林遣都)が調達してくる情報を元に、詐欺グループなどの犯罪者だけをターゲットにしたタタキ(=窃盗)で日銭を稼いでいた。
ある日、タタキに入った犯罪集団のアジトで、三人はヒカリという少女(伊東蒼)を拾う。なんとヒカリは、巨大犯罪組織として台頭しているカンパニー「六龍天」が振り込め詐欺に使うSDカードを持っていた。
そのSDカードに記録された個人情報を見れば、受け子(=被害者から金を受け取る者)が向かう先も筒抜け。受け子を尾行していけば、アガリ(=詐欺の収益金)の在り処も突き止めることができる。
「六龍天」のアガリをタタくことで大金を手に入れられるようになり、有頂天になる三人。一人につき1,000万円もあれば、身分証を作って、表社会で働くことができる。まともな経歴を持っていない自分たちが、「まともな人生」を生きられるステージにまで這い上がるための手段は、金しかない。
しかし、同じ少年院出身であり、現在は「六龍天」の下っ端をやっている真鍋(菅原健)に居場所を突き止められたことで、三人はようやく貯めた金を全て奪われてしまう。それどころか三人の身元が知られ、「六龍天」を敵に回すことになり……。
以下、がっつりネタバレなのでご注意を。
感想 ※ネタバレあり
主人公のサイケ、カズキ、タケオのバランスが良い
同じ少年院で仲良くなり、出所後は共にタタキ稼業を行っている、サイケ(本名が斉藤恵吾だからサイケ)、カズキ、タケオ。
この三人は、
- サイケ(高杉真宙)=情報収集・作戦立案担当
- カズキ(加藤諒)=工具担当
- タケオ(渡辺大和)=車両関係・力仕事担当
と、それぞれの得意分野を生かして役割を分担しています。
他の二人よりも頭が切れて、情報通なサイケ。
工具に詳しく、タタキに行った先の金庫の種類や開け方を見抜くカズキ。
どんなに重たい金庫でも車まで運搬し、一度ハンドルを握ればドライブテクは誰にも負けないタケオ。
しかし仕事を行う上でのバランスもさることながら、性格・人間性のバランスも良い。
まず、サイケ。彼は他の二人より頭が切れる少年で、少年院時代に聞いた裏社会の情報を全てメモし、頭に叩き込んでいるという頭脳派です。しかしその分、先のことを予測して、最悪の状況を考えてしまう癖があり、行動が慎重になる。最終的に「六龍天」と争うしか他に道はないという状況に陥った時にも、彼は真っ先に怯え、「無理だ」と諦めていた。「六龍天」のオーナー・安達(MIYAVI)の恐ろしさを、他の二人よりも分かっているから。
そんな悲観的な考えを吹っ飛ばしてくれるのが、カズキです。何度タタキを繰り返しても、情報料やら経費やらを高田に搾取されて、結局はした金しか手元に残らない。今日食うものにも困る生活。その現実からいつまで経っても抜け出せないことに強い苛立ちを感じているサイケに、カズキは、タタキ先で見つけた板チョコを分けながら「チョコ食えるんだからいいじゃ~ん」。「牛丼食いてぇ~!」が口癖の、サイケ曰く「能天気」な少年です。
キャラが真逆の二人ですが、彼らには、親に捨てられた・虐待された過去を持つという共通点があります。
サイケは五歳の頃に兄と共に両親に捨てられた。
「なんで俺らを捨てたんだよ」「育てられないなら、なんで生んだんだよ」。
そう泣き叫びながらも、両親のことを激しく憎悪しながらも、サイケは自分の親をずっと忘れられずにいる。心のどこかで、まだ生きていると信じている。
カズキは小学生の頃から、母親とその恋人である薬物中毒者から激しい虐待を受けていました。そして、自分だけならまだしも、幼い妹にまで手を出した男が許せなくて、男を殺した。
カズキの背中には今でも、母親と男の手による根性焼きで書かれた罵詈雑言が、呪いのように残っています。
それでもカズキは、男と一緒になって自分を虐待した母親を憎めないでいる。自分と妹を守るために、仕方なく男の言いなりになっていたんじゃないかと。
親によって人生を狂わされた二人ですが、未だに親の存在に心を囚われている。
だから、家族の話がふと話題に上った時には、空気が少しピリッとします。タタキ先で出会った少女・ヒカリを、自分の妹と重ねてしまったカズキが、彼女を救おうとして連れて来てしまった時には、特に。
恐らくサイケとカズキだけだったら、互いの触れられたくない部分にふと触れてしまった時、関係が決裂してしまうと思います。しかし、そこはタケオが緩衝材になってくれます。
彼を一言で表すなら、「気の優しい力持ち」。
少しどもりがちの太い声で、素直な気持ちを告げてくるので、サイケも彼に対しては毒気を抜かれる感じ(笑)
もっとも、そんなタケオも、ハンドルを握れば目の色が変わるのですが。
タケオが少年院に入ったのは、友人に騙されてバイク窃盗の主犯にされたからでした。
人より行動がゆっくりしているタケオは、少年院で、真鍋という不良からイジメの標的にされる。食事の時間にわざとお盆を引っくり返されて、床に落ちた食べ物を指しながら「早く食えよ」と言われたり。
誰もが見て見ぬ振りをしていた中で、別のテーブルにいたカズキが「もったいない!」と落ちた食べ物に率先して食いつき、真鍋の言動にとうとうキレたサイケは彼に殴りかかって、大乱闘へと発展。
結果、サイケとカズキ、タケオは罰としてトイレ掃除を課されるのですが、この件をきっかけに、三人は仲良くなりました。
現実主義者のサイケ。楽観的なカズキ。優しさと独特のほんわかした雰囲気を持ち、二人の緩衝材になれるタケオ。
性格がバラバラだからこそ、互いに足りないものを補い合って、ひとつになれる。三人の目的はひとつです。何があっても生き抜いて、自分を捨てた両親に、生き別れた妹に、自分をはめた友達に、また会うこと。
「必ず生き抜く」という強い意志を持って、彼らは「六龍天」のオーナー・安達に立ち向かうための算段を立てます。
敵役が魅力的
たった三人から成るタタキ集団が立ち向かおうとするのが、巨大カンパニー「六龍天」。そのトップであるオーナー・安達(MIYAVI)。安達の部下であり多くの詐欺店舗を抱える加藤(金子ノブアキ)。加藤の部下兼恋人であるアゲハ(篠田麻里子)。
彼らもまた強烈なキャラで、特に加藤は腹に一物抱えている人物なので、決して一枚岩ではない敵側の動向も、ハラハラしながら観られました。
その前に、「カンパニー」だの「番頭」だのの専門用語があるので、公式サイトを参考にしながら軽くご説明を。
組織の構造
まずカンパニーとは、
半グレ系アウトローの人間で構成された、犯罪営利集団。営利を目的としている組織体制の為、仁義や体裁を重んじるヤクザとはその根本が異なる。
※公式サイトより引用
「半グレ」とは、ヤクザ側でもカタギ側でもない、グレーゾーンのことです。ヤクザではないので暴力団に所属していない。
振り込め詐欺などで大金を稼ぎ、更にその金でまた詐欺店舗を増やして人を雇い、被害者から金を奪うシステムの網を巨大化させていく。そうやって急成長を遂げてきたのが「六龍天」というカンパニーです。
更にご紹介すると、実際に詐欺店舗を統括するのはオーナーではなくて、「番頭」と言われる存在。番頭はいくつもの詐欺店舗を抱えており、それぞれの店舗や店長の動向をチェックしている。
店長は、預けられた一店舗の責任者であり、その店舗で何かあった場合(例えば、収益金をタタかれる等)に腹を切る立場です。
高齢者に電話を掛けて息子を演じたり、修羅場を演出したりして金を要求するのが、店舗にいるプレイヤー(=掛け子)。プレイヤーは、厳しい研修を乗り越えてきた人間たちが務めるそうです。
そして被害者と直接会って金(アガリ)を受け取るのが受け子。受け子はそのアガリを運び屋に託し、何重もの運び屋の手を経て、アガリは「六龍天」が金庫代わりに使っている倉庫へと持ち運ばれます。
番頭の加藤
もともとサイケたちが物語の冒頭でタタキに入った詐欺店舗が、加藤の統括する店舗のうちの一つでした。ここからすでに、加藤との因縁が始まっています。
加藤の存在を強烈に印象づける場面は、やはり最初の登場シーンでしょう。番頭として、プレイヤー(掛け子)たちに、詐欺の心構えを説く場面です。
「この国の子供は、7人に1人が貧困だ! これは結構な数だ! 更に一人親家庭の半分は貧困! この国は貧しくなってしまったのか? この国から金は消えてしまったのか? いや違う! 日本銀行はちゃんと金を刷ってるんだよ! じゃあその金はどこにいっちまったんだ? 老人の懐だよ。今やこの国の貯蓄の7割は、高齢者が持っている! 奴らは、バブルだの何だの散々いい時期を過ごしてきた自分たちのツケを、俺らの時代に回してんだよ! そのジジイとババアの金を、俺らが100万や200万ほど頂戴して、お前ら若い奴に還元する。それの何が悪い!? 俺はまったく胸が痛まない!」(大意)
1カットでこの長台詞を熱く語っていて、その熱量とカリスマ性に圧倒された単純な私は、「そうかもしれない……」とか一瞬思ってしまいましたが。いやいや犯罪ですからね。
サイケたちが「六龍天」の振り込め詐欺用の名簿が入ったSDカードを手に入れたことで、加藤の抱える店舗はことごとく被害に遭います。その額、2,000万円。オーナーの安達に目を付けられ、「六龍天」に居辛くなった加藤。
しかし、加藤には企みがありました。それは、サイケたちがやったと見せかけて、安達の金を盗み、恋人のアゲハと一緒に海外に飛ぶこと。つまり、番頭の自分が、オーナーの安達をタタくこと。
「六龍天」のアガリをタタき、「まともな人生」を生きるための軍資金を着実に貯めていたサイケたちは、ようやく2,000万円貯めたというところで、少年院で仲の悪かった真鍋に運悪く居所をつかまれ、散々ボコボコにされた挙句、金も奪われる。
真鍋のせいで「六龍天」にも面が割れた。タタキをやるためには、真鍋よりも、その上司の加藤よりも、更に上の存在、トップの安達を潰すしかない。
そう奮起した三人は、安達が海外でマネーロンダリング(汚い金を、複数の口座を転々とさせることで、その出所を分からなくすること。資金洗浄)していることを知ります。洗浄された多額の現金が、中国から千葉の港へと到着した後、それを安達は部下に回収させる。この大役を担わされたのが加藤でした。
加藤は、コンテナトラックから億単位の金を一人で運び出し、車に積んで「六龍天」へと持ち帰る。その車を、三人がタタく。この作戦は、金で雇ったホームレスたちや、かつて妹が安達の愛人であり、水商売に沈められ自殺したことから安達に強い恨みを持つトラック運転手・川合(勝矢)も参加する、決死の大作戦です。
しかし、三人が奪ったアタッシュケースの中には、紙幣ではなく紙屑が入っていた。コンテナトラックでの現金回収の段階で、加藤は回収用のアタッシュケースに紙屑を入れ、自分のキャリーバッグに本物の現金を詰め込んでいたのです。そもそも、安達がマネロンをしていること、現金を積んだコンテナトラックが千葉の港にやって来ること、それらの情報をサイケたちに流していたのは、加藤でした。
加藤、めっちゃ頭いいな。
騙されたことにいち早く気付いたサイケは、とんずらした加藤を追うために、タケオに成田空港へ車を飛ばさせます。
下克上を果たしたことの満足感と共に、億単位の金を入れたキャリーバッグを転がしながら、アゲハと落ち合うために空港の駐車場に入っていく加藤。
そこにいたのは、殴られてボロボロになったアゲハ、そして車から出てきたパジャマ姿の安達と、その部下たちでした。
オーナーの安達
安達は登場する度に、不気味さを感じさせる人物です。
青白い細面に、ぼーっとした表情を浮かべながら、やってることや言ってることは非情。多重債務を抱えた女たちを使って人間釣堀(裸の女体をずらーっと並べて、上から釣り糸を垂らし、その釣り糸の先にくっついているカエルに触れて悲鳴を上げてしまった女を捕まえて、部下にボコボコにさせるという謎のゲーム)を行ったり、人間オークションを開催したり。
しかも、そういう歪んだ娯楽が彼を楽しませているのかというと、別に楽しそうじゃない。表情がまったく動いていない。
信じているのは、金と、ごく限られた数の直属の部下だけ。
信じていた加藤に裏切られた安達は、部下たちに彼をフクロにさせます。そして、加藤に問う。
「オーナーが資金を出す。お前ら番頭がその資金で店を構えて、得たアガリの一部を俺に戻す。みんなハッピー。それのどこが不満?」
しかし加藤は、「それじゃ俺たち下の人間は、リスク背負わされて永遠に働かされ続けて、搾取されるだけじゃねーか」と反論。表社会における資本家と労働者の関係と違い、警察に捕まるリスクを負うのはプレイヤーや店長だけで、オーナーの安達は自分では手を汚さないから警察も追えないんですね。
その正論に激昂した安達は、加藤を撲殺。目をかけていた部下だからこそ、可愛さ余って憎さ百倍。加藤が死んだ後も、安達はずっと鉄パイプを振り下ろし続けていました。
対安達戦のアクション・シーンがかっこよすぎ
自分たちを騙した加藤を追って、サイケたち一行も駐車場に到着します。しかしそこにいたは、安達とその部下、そして加藤の死体と瀕死状態のアゲハ……。
ここで、サイケたち vs 安達と部下たちの乱闘が始まります。捕まれば殺される。必死に戦うサイケたちは、部下たちは倒せるのですが、三人がかりでも安達を倒すことができない。
このアクションシーン、めちゃくちゃ凄かったです。チームワークで挑もうとする三人の息の合わせ方も凄いんですが、安達を演じるMIYAVIさんの身体のキレがすっごい。何か格闘技でもやられているんでしょうか? 相手の拳や蹴りをちゃんと見つめながら、僅かに身体を傾けてそれをスッとかわす感じ。玄人感100%でした。きっとこれまで数多の修羅場をくぐってきたんだろうな、と思わせる身体の動き。そして、護身を部下に任せるのではなく、ここまでの格闘術を自ら身につける必要があった、安達の孤独。戦闘中の所作に、安達という人物の生き方がみなぎっていました。
一人で戦わざるを得ない安達と、背中を預けることができる仲間がいるサイケたち。良い対比です。
この戦いに決着をつけたのは、いつの間にか潜んでいたトラック運転手・川合でした。三人に気をとられていた安達の頭を、思いっきしぶん殴ってやった。
最終的に倒れて動けなくなった安達。本物の現金が入ったアタッシュケースを見つけて喜ぶ、カズキとタケオ。外では、川合が呼んだパトカーのサイレンが鳴っている。加藤の死体があるから、今度こそ安達は逮捕される。だから、お前らは早く金を持って逃げろ。そう言う川合の言葉を無視し、サイケは安達のもとに近寄ります。
サイケにとって、安達の孤独な姿は、なり得たかもしれないもう一人の自分なんですよね。感情よりも理性に重きを置いて、だから簡単に人を信用できない。カズキやタケオに出会えなかったら、自分はこうなっていたかもしれなかった。
この状況で、安達はサイケをスカウトします。俺の下で働け、金なら、欲しいものならいくらでもくれてやる、と。
しかし、サイケは笑って首を振ります。「財産なら、もう持ってんだ」。安達には、恐らくもはや理解できない言葉でしょう。
巨万の富を手に入れた三人は、車を走らせながら、無邪気に喜びます。しかし、フロントミラーを見てみると、後ろの様子が何やらおかしい……。
なんと、いつの間にか車のトランクが開いてしまっていて、そこから無数の紙幣が吐き出されていたのでした。風に舞い、街中にばら撒かれる一万円札。命を賭けた彼らの作戦は、こうして幕を引いたのでした。
想像力のない「自己責任」論は、人の心を殺す
被害総額200億円を超える巨大詐欺グループのトップが逮捕されたことで、世間は賑わいます。そして週刊誌で容赦なく暴かれていく、安達の過去。安達は子供の頃から性的虐待を受けていた。彼の犯罪には、こうした生い立ちが影響を及ぼしているのかもしれない、と。
手に入れた金で飯を食いながら、店のテレビから流れてくるそのニュースを、三人は黙って聞いています。
その時、彼らの背後のテーブル席にいたリーマン二人組が、週刊誌を見ながら安達を散々責めます。
「親のせいにしてんじゃねーよ」
「俺らだってブラック企業で働かされて、大変な目に遭ってるっつーの」
「だいたい、虐待受けても犯罪を犯さない人たちだっているじゃん」
「自己責任だよ」
「結局、甘えてるだけ」
聞くに堪えかねたサイケが、椅子から立ち上がってリーマンを睨みつけ、殴りかかろうとします。しかしキレたサイケを、カズキが渾身の変顔で止めにかかります。
「……なんだよ、その顔」
「三人、ずっと幸せの顔」
もうね、本当に、三人が三人でいてくれて良かったです。そしてカズキをやってくれたのが加藤諒さんで良かった(笑)
まとめ
犯罪は良くないことです。それによって苦しむ・人生を狂わされる被害者がいる犯罪は、特に。そして、良くないことを、ただ良くないこととして、断罪するのは簡単です。
しかし、その犯罪の「加害者」がかつて「被害者」であったと知った時、その側面に気付いてしまった時、私たちはどう反応すればいいのでしょうか。
本作でサイケ、カズキ、タケオがやっていることは、青春風に見えますが、紛れもない犯罪です。しかし、彼らや安達は、子供の頃から大人に虐げられてきた「被害者」です。
かつての「被害者」が、また別の「被害者」を生んで、今度は「加害者」になっていく。この救われない連鎖を考えると、何も言葉が出てこない。どんな言葉も浮薄に感じられる。
最近、みんな忙しいせいか、物事が「自己責任じゃん」で切り捨てられることが多い気がします。
そして持て囃されるのは、分かりやすい感動ストーリー(それも、右から左へと消費されていくけれど)。
「犯罪者に同情の余地はない」。
そう言い切る前に、犯罪者が根っからの悪人なのか否かを考えるために、観てほしい映画だと思いました。
ただ、自分がこんな風に考えられるのも、身内が犯罪に巻き込まれていないからかもな、という気持ちもあります。結局、誰に加担するかなんですよね。
けど、「悪」とされるものの、そうならざるを得なかった背景を想像しないでいられるほど、落ちぶれたくはないな、と思いました。
すと子
原作漫画です。
『ギャングース』の原案となった、鈴木大介氏によるルポルタージュです。
こちらは女性版。オススメですが、すと子はこれを読んだ後に1週間寝込みました。ショックで。